示衆(15)「為達四大如夢如幻故」(四大、すなわち地水火風はみな夢のごとく幻のごとしとの境地に達しているからだ)「臨済録」より

2023-03-29

古典 臨済録

 

こんにちは、暖淡堂です。

「示衆」の15回目です。

ここでは四大(世界を構成する地水火風の四つ)との向き合い方について語っています。

人間を含めた世界は地水火風が混じり合ってできたもの。

しかし、臨済は、地水火風は夢だ、幻だ、といいます。



臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 

「喝!!」の声が戦乱と混沌の世に響いた 臨済の生きた時代


  

問、如何是四種無相境。

僧が質問した、四種の無相境とはなんでしょうか、と。


師云、爾一念心疑、被地來礙。

師は答えた。諸君の一念心の疑いは、地に出会い、妨げられることで生じたもの。


爾一念心愛、被水來溺。

諸君の一念心の愛は、水に出会い、溺れることによって生じたもの。


爾一念心嗔、被火來燒。

諸君の一念心の怒りは、火に出会い、焼かれて生じたもの。


爾一念心喜、被風來飄。

諸君の一念心の喜びは、風に出会い、吹かれてはためいているようなもの。


若能如是辨得、不被境轉、處處用境。

もしこのように理解しきったなら、世のものごとに振り回されず、それらをむしろ使いこなせるようになるのだ。


東涌西沒、南涌北沒、中涌邊沒、邊涌中沒、履水如地、履地如水。

東に現れて西に消え、南に現れて北に消え、真ん中に現れては縁で消え、縁で現れては真ん中で消え、水を踏んでも地上にいるかのごとく、大地の上にいても水中にいるかのごとく振る舞えるようになる。


緣何如此。

どうしたらこのようになれるのか。


為達四大如夢如幻故。

四大、すなわち地水火風はみな夢のごとく幻のごとしとの境地に達しているからだ。


道流、爾祇今聽法者、不是爾四大、能用爾四大。

諸君、君たちは今ここで話を聞いているが、それは君たちがただの四大だというのではなく、その四大をうまく使いこなしているではないか。


若能如是見得、便乃去住自由。

もしここのところをはっきりと見切ってしまえば、ここにいるのも立ち去るのも、生きるも死ぬも自由自在だ。

 

この世で生きているということは、四大(地水火風)からなるものたちに囲まれて暮らしているということ。

その四大からなるもの(世界)と私たちとは同じものからできているので、私たちはつねに四大に影響を受け、引きずられるように生きなければなりません。

しかし、四大に引きずられるのではなく、それらを自ら使いこなせるようになること。

それができれば生きるも死ぬも自由自在だ。

そう臨済は言います。


*****


「臨済録」現代語訳は、全文の推敲を終えたら関連する地図、臨済の生きた時代の年表などと合わせて書籍にする予定です。

 

臨済録原文全文リンク

 

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