こんにちは、暖淡堂です。
「示衆」の14回目です。
真正の見解を求める修行僧に対し、臨済の説明が続きます。
臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。
學人不了、為執名句、被他凡聖名礙、所以障其道眼、不得分明。
修行者はそれが理解できず、経の題目や書かれていることに執われ、凡だの聖だのという名前に邪魔されて、それで結局は目をくらまされ、肝心なところを見分けることができない。
祇如十二分教、皆是表顯之說。
十二分教というものも、みな表札がわりの言葉に過ぎない。
學者不會、便向表顯名句上生解。
修行者たちはそれがわからないまま、表に示された言葉をいじくり回して解釈を作り上げようとする。
皆是依倚、落在因果、未免三界生死。
そんなものは言葉に寄りかかった解釈で、結局因果の中に落ち込んでしまい、欲界、色界、無色界の三界や生死の輪廻から逃れることはできない。
爾若欲得生死去住、脫著自由、即今識取聽法底人。
諸君がもし生死の間の行き来を、まるで衣服を脱ぎ着するかのようにしようと思うなら、たった今そこで説法を聞いている君たちがどのようにあるのかを理解すればよいのだ。
無形無相、無根無本、無住處、活撥撥地。
形も姿も無く、根も本も無く、定まった在処もないのに、生きた魚のようにピチピチとしているではないか。
應是萬種施設、用處祇是無處。
状況に応じてなされた方便は、用済みになれば形も残らない。
所以覓著轉遠、求之轉乖。
執着するほど遠ざかり、求めるほど離れていく。
號之為祕密。
だからこれを秘密、不可思議なもの、と呼ぶのだ。
道流、爾莫認著箇夢幻伴子。
諸君、君たちは夢やまぼろしに過ぎない道連れに気を取られてはいけない。
遲晚中間、便歸無常。
そんなものはいつの間にか、無常に帰ってしまうのだ。
爾向此世界中、覓箇什麼物作解脫。
君たちはこの世界で、いったいなにを求めて、それで解脱しようとするのか。
覓取一口飯喫、補毳過時、且要訪尋知識。
一口の飯にありつき、衣の繕いをして時を過ごすくらいなら、老師を訪ねて教えを請うべきなのだ。
莫因循逐樂。
五欲による楽しみを追い回ってはいけない。
光陰可惜、念念無常。
時間は瞬く間に過ぎる、思いと思いとの間もあっという間だ。
麤則被地水火風、細則被生住異滅四相所逼。
大きくいえば身体を作る地水火風に、細かくいえば生住異滅の現象に押し流されてしまっている。
道流、今時且要識取四種無相境、免被境擺撲。
諸君、今こそこれらは四種の無相境、すなわち形のない世界を作り上げているものであると見切って、これらに振り回されるのをやめるときだ。
今、ここ、にいて、話を聞いている人、まさに君たち自身がどのようにあるのかを理解しているか。
それは「形も姿も無く、根も本も無く、定まった在処もないのに、生きた魚のようにピチピチとしている」ような存在である。
それをしっかりととらえるべきだ。
欲に引きずられてはいけない。
外の世界に惑わされてはいけない。
時間は限られているのだ。
そう臨済は言います。
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「臨済録」現代語訳は、全文の推敲を終えたら関連する地図、臨済の生きた時代の年表などと合わせて書籍にする予定です。
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