示衆(35)「幻化空花、不勞把捉」(幻想の現れや空に浮く花を、つかみ取ろうと苦労などするな)「臨済録」より

2023-05-16

古典 臨済録

 

こんにちは、暖淡堂です。

「示衆」の35回目です。

臨済はこの部分で、生き生きとしている私たちの本体について説いています。

そして、無駄な苦労ばかりするな、と繰り返し話しかけています。



臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 

「喝!!」の声が戦乱と混沌の世に響いた 臨済の生きた時代


  

大德、爾檐鉢囊屎檐子、傍家走求佛求法。

諸君、君たちは鉢や屎尿を詰めた袋を担いで、仏を求め法を求めて脇道を走り回っている。


即今與麼馳求底、爾還識渠麼。

今まさにそのように走り回っているが、君たちは探し回っている当の本体がなにか知っているのか。


活撥撥地、祇是勿根株。

それは生き生きと跳ね回っているが、その存在の根拠などないものだ。


擁不聚、撥不散。

集めようとしても集まらず、散らそうとしても散らない。


求著即轉遠、不求還在目前、靈音屬耳。

手に入れようとするときには遥か遠くにあり、手に入れようとしなければすぐ目の前にあり、それが発する霊音は耳に集まってくる。


若人不信、徒勞百年。

もしそのことが信じられないならば、ただいたずらに百年が過ぎてしまうだろう。


道流、一剎那間、便入華藏世界、入毘盧遮那國土、入解脫國土、入神通國土、入清淨國土、入法界、入穢入淨、入凡入聖、入餓鬼畜生、處處討覓尋、皆不見有生有死、唯有空名。

諸君、一剎那の間に、すなわち蓮華蔵の世界に入り、毘盧遮那國土に入り、解脱国土に入り解、神通国土に入り、清浄国土に入り、法界に入り、穢土に入り浄土に入り、凡に入り聖に入り、餓鬼畜生道に入って、それぞれのところで尋ね回っても、どこにも生もなく死もない、ただ空の名があるだけだ。


幻化空花、不勞把捉、得失是非、一時放卻。

幻想の現れや空に浮く花を、つかみ取ろうと苦労などするな、得るもの失うもの、良くも悪くも、そんなものは一気に放り出してしまえ。



 

修行僧は、修行用の簡単な道具を持って、生身の身体を引きずって、あちらこちらとうろつき回っています。

しかし、うろつき回っている当の本体についてまったく意識していません。

それは生き生きとしているもの。

ただ、その存在は、なにかに依存するというものではない。

それは集めて掴み取ろうとしてもてきず、なにもしなければ目の前に集まってくるもの*。


しかし、それに気づかず、相変わらず幻の花を求めて走り回っている。

それでは何年経っても肝心のところがわからないぞ。

そう臨済は言います。


*これは、老子や「管子ー心術」などでいわれる「道」の在り方にとてもよく似ています。以下の書物もご参照ください。


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