示衆(47)「爾但自家看。更有什麼」(君たち、ただ自分たちの目で見よ。それ以上の何があろうか)「臨済録」より

2023-06-02

古典 臨済録

臨済録原文全文

 

こんにちは、暖淡堂です。

「示衆」の47回目です。

語り続けた臨済の言葉が、ここで一旦終了します。

さて、どのような言葉で終わるでしょうか。



臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 

「喝!!」の声が戦乱と混沌の世に響いた 臨済の生きた時代


  

夫如至理之道、非諍論而求激揚、鏗鏘以摧外道。

仏の理にいたる道というのは、論争をして声を高ぶらせることでも、鉦を打ち鳴らして外道を押し除けることでもない。


至於佛祖相承、更無別意。

祖師たちが相伝してきたものも、ことさらな意味があるものでもない。


設有言教、落在化儀三乘五性、人天因果。

教えといえるようなものがあったとしても、それは三乗五性のような教え方の手本になったもの、人天の因果に過ぎない。


如圓頓之教、又且不然。

圓頓の教えなどは、そんなものではない。


童子善財、皆不求過。

善財童子も、それらを極めようとしたのではない。


大德、莫錯用心。

諸君、誤った心の用い方をしてはいけない。


如大海不停死屍。

大海は死屍を停めることはないではないか。


祇麼擔卻、擬天下走。

それなのに君たちはそれをわざわざ担いで、天下を走り回ろうとする。


自起見障、以礙於心。

視界を遮るものを自分で置いて、心に邪魔ものを生じさせている。


日上無雲、麗天普照。

雲のない空に日が上れば、光は天を涯の果てまで照らす。


眼中無翳、空裡無花。

目の中に翳りがなければ、なにもない空間に花など見ることはない。


道流、爾欲得如法、但莫生疑。

諸君、君たちが仏法を得ようと思うのなら、ただただ疑いなど生じさせないことだ。


展則彌綸法界、收則絲髮不立。

広げれば全宇宙の隅々にまで至り、収めれば髪の毛一本も立たないくらいに小さくなる。


歷歷孤明、未曾欠少。

それ自身で明々白々、まったくの完全無欠だ。


眼不見、耳不聞、喚作什麼物。

しかし目にも見えず、耳にも聞こえない、それをなんと呼ぶのか。


古人云、說似一物則不中。

古人も言っている、言葉を持ち出したらすぐに的外れになる、と。


爾但自家看。

君たち、ただ自分たちの目で見よ。


更有什麼。

それ以上の何があろうか。


說亦無盡、各自著力。

説いてもきりがない、自分で力をつけてくれ。


珍重。

珍重。



 

「君たち、ただ自分たちの目で見よ。それ以上の何があろうか」

あくまでも、今の自分を肯定すること。

祖師たちの言葉や経典に書かれた教えに引きずられないこと。

それ以上の何ものも、必要ない。

「説いてもきりがない、自分で力をつけてくれ」

自分が言えることはそれだけだ。

それを言い換えながら繰り返しただけだ。

あとは自分で進んで行ってくれ。


最後の「珍重」は「ご苦労さん」のように訳されることが多い言葉です。

ここでは「まあ大変だが、頑張ってくれ」のように理解したいと思います。


「示衆」はここまで、次からは「勘辨」になります。

禅の師たちの動きが見えて、ある意味楽しく読むこともできる部分です。


*****


「臨済録」現代語訳は、全文の推敲を終えたら関連する地図、臨済の生きた時代の年表などと合わせて書籍にする予定です。

 

臨済録原文全文リンク

 

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