こんにちは、暖淡堂です。
今回から「勘辨」の部分になります。その1回目。
これ以降、登場人物は増えます。
そしてそのやり取りには大きな動きがあって、とても興味深く読み続けられます。
ここでは黄檗、臨済、飯頭に加え溈山と仰山が出てきます。
どのようなやり取りが行われるのでしょうか。
臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。
黃檗、因入廚次、問飯頭、作什麼。
黃檗が厨房に入ったとき、飯頭にきいた、なにをしているのか、と。
飯頭云、揀衆僧米。
飯頭は言った、僧たちが食べる米から砂などを選り分けています、と。
黃檗云、一日喫多少。
黃檗は言った、一日にどのくらい食べるのか、と。
飯頭云、二石五。
飯頭は答えた、二石と五斗です、と。
黃檗云、莫太多麼。
黃檗が言った、多すぎるのではないか、と。
飯頭云、猶恐少在。
飯頭が答えた、まだ少ないのではないかと恐れています、と。
黃檗便打。
黃檗はそこで飯頭を棒で打った。
飯頭卻舉似師。
その後、飯頭は師(臨済)に黄檗に打たれた意味を尋ねた。
師云、我為汝勘這老漢。
師は言った、私が君のためにあの老漢に確かめてあげよう、と。
纔到侍立次、黃檗舉前話。
それからしばらくして、師が黄檗の側に立っていると、黃檗がこの話を持ち出した。
師云、飯頭不會、請和尚代一轉語。
師は言った、飯頭は理解できていません、和尚、代わりにその答えを示してもらえますか、と。
師便問、莫太多麼。
それから師は黄檗の問いを繰り返した、多過ぎるのではないか、と。
黃檗云、何不道、來日更喫一頓。
黃檗は答えた、どうして言わないのだ、明日もまた食べる、と。
師云、說什麼來日、即今便喫。
師は言った、明日がどうしたというのだ、まさに今食らうべし、と。
道了便掌。
言い終えるや手のひらで黄檗を打った。
黃檗云、這風顛漢、又來這裡捋虎鬚。
黃檗は言った、この風顛漢め、また虎の鬚を引きにやって来てたのか、と。
師便喝出去。
師はすかさず一喝して立ち去った。
後溈山問仰山、此二尊宿、意作麼生。
後、溈山が仰山に問うた、この二尊宿の真意はどのようなものか、と。
仰山云、和尚作麼生。
仰山は言った、和尚はどのように思うのです、と。
溈山云、養子方知父慈。
溈山は答えた、子を養ってみて、まさに父の慈愛を知るということだ、と。
仰山云、不然。
仰山は言った、そうではないでしょう、と。
溈山云、子又作麼生。
溈山が言った、ではお前はどのように思うのだ、と。
仰山云、大似勾賊破家。
仰山は答えた、まったく勾賊破家、捕まえた賊に家財をすっかり持ち去られたようなものです、と。
ここで、飯頭が選り分けている「お米」は、何を表しているのでしょうか。
それを日々食べるとはどのようなことでしょうか。
「多い」、「少ない」、「今日」、「明日」。
この文章で言われていることの意味は、どのようなものになっているでしょうか。
以前、経典に書かれている文字を黒い豆粒に例えたことがありました。
それがヒントになっているかもしれません。
黄檗と臨済のやり取りを、仰山は「捕まえた賊に家財をすっかり持ち去られたようなもの」と言います。
黄檗の教えが臨済に正しく引き継がれていることが見てとれたということかもしれません。
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「臨済録」現代語訳は、全文の推敲を終えたら関連する地図、臨済の生きた時代の年表などと合わせて書籍にする予定です。
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