管仲という人物について 「管鮑の交わり」

2025-10-01

管子

管仲という人物について

管仲の生きた時代

管仲の生年は明らかではないが紀元前730年頃と考えられている。

没年は紀元前645年。

いわゆる周王のもと、諸公がそれぞれの封土を治めていた、いわゆる春秋時代の人物である。

当時の周の都は洛陽。恵王から襄王の代にあたる。 

「管子」の呼び方について

司馬遷史記列伝第二管晏列伝には、春秋時代の斉(山東半島の付け根部分の北側)の宰相二人のことが書かれている。

管子と晏子である。

その記載によれば、管子は、姓は管、名(諱)は夷吾で、仲というのは字名(あざな)である。

諱(いみな)とは親や目上の人が呼び掛けるときに使うもの。

字名(あざな)は社会一般で使われるもの。

「管さん」とか「管さま」のような呼びかけのときは管子とされる。

また、「管子」は管仲の名の下にまとめられた書物のこともいう。

管仲の生まれた場所

管仲は頴水のほとりに生まれたといわれている。

頴水は斉よりもはるか西にあり、むしろ鄭や陳の都に近い。

一説では管仲は「姫姓の後」とされ、周の王室の家系に連なり、管叔鮮の後裔であるとも考えられている。(参考文献1)

管叔鮮は文王の子、武王の兄弟である。

殷の滅亡後、殷の遺民を統治する任を与えられた。

その後、武王の子、成王のとき、摂政となった周公旦と対立し敗れて誅殺されている。

管仲は、この管叔鮮の系譜の生き残りの可能性があるようだ。

管鮑の交わり

管仲は若い頃からすでに鮑叔とは親交があった。

管仲と鮑叔の関係は、「管鮑の交わり」とも呼ばれ、後の時代の人々にとっての、交友関係の手本ともなった。

斉の僖公に重用され、公子糺の傅(ふ)となる。

傅とは教育を担当するものである。一方の鮑叔は公子小白の傅であった。

斉僖公没後の混乱時には公子糺とともに魯に亡命していたが、公子小白が斉の国主桓公となり、公子糺が魯で殺された後は桓公に仕え、宰相として斉の富国強兵を進めた。

公子糺が魯で殺されたときに、管仲は生き残り、対抗していた公子小白に仕えた。

それが理由で、信義にもとる裏切者という評価がされることもある。

参考文献1 「管子今註今譯」 李勉注譯 臺灣商務印書館 1983年(民国72年)

参考文献2 このページの情報全般にわたって、「新釈漢文大系 管子(上・中・下)」 遠藤哲夫著 明治書院 平成元年10月25日発行を参考にしています。

管仲という人物について 「管鮑の交わり」

「管子」という書物を手に入れてから、すっかり春秋戦国時代の思想にはまっています。

2000年以上前の書物ですが、現代を生きる我々にとっても参考になるものばかりです。

時々、ブログで紹介していきたいと思います。


 

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