臨済の四照用 古典としての「臨済録」に学ぶ

2022-11-04

古典

古典としての臨済録から臨済の四照用

こんにちは、暖淡堂です。

古典「臨済録」について、少しずつ紹介します。

僕はお坊さんではなく、ただの読書人です。

なので、お坊さんや、専門の宗教研究者の方みたいに、難しいことはわかっていません。

「臨済録」を古典として読んで、わかったことや考えたことを書いていきたいと思います。


唐の時代の禅僧臨済の語録「臨済録」は、弟子の慧然が記録したものをまとめたのが始まりです。

その後、他の文献などからいくつかの文章が補われ、現在の「臨済録」の形になっています。

本ブログのページに掲載しているのは、宋代になって円覚宗演が重刊したものをベースにしています。

臨済録原文全文(補完版)

「臨済録」への文章の追加はその後も続き、明代にまとめられたものがほぼ最終形です。

最終形と慧然がまとめているものを比べると、明代にあって慧然版に欠けているものが若干あります。


今回、その欠けている部分を補足しました。

そのうちの一つが「臨済の四照用」と呼ばれている部分です。

その部分を、参考までに、以下に掲載します。 

 

臨済の四照用原文

示眾云、我有時先照後用。

有時先用後照。

有時照用同時。

有時照用不同時。

先照同時有人在。

先用後照有法在。

照用同時、駈耕夫之牛、奪飢人之食、敲骨取髄、痛下鍼錐。

照用不同時、有問有答、立賓立主、合水和泥、應機接物。

若是過量人、向未學已前、撩起便行。

猶較些子。 


照と用

照とは、ある人に向かってその人の内部に光を当ててそこにあるものを読み取ること、用とはその人の外的なまとまりに対して働きかけること。

自分以外の人と向き合うときには、自分との間にまったくなんの関係も持たないということはありません。

まず、相手の内実を見て外から働きかけるか、外からの働きかけを先にして、それからその内実を見るか。

それらを別々に行うか、同時に行うか。

修行の場でも、日常生活でも、これらのやりとりを意識することで近づけるものがあるかもしれません。

  

「臨済録」のテキスト

臨済録の原文のみ、および原文と現代語訳の書籍を作成しました。

現代語訳は、平易な会話文となるように心がけました。

禅や仏教のテキストとしてのみではなく、自由な生き方を実現するための導きの書物としてご活用いただければと思います。

ぜひ、ご一読ください。

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