臨済録の序文から考える 臨済録はどのような人たちに読まれたか RD

2022-11-16

古典

  

こんにちは、暖淡堂です。


当ブログ「散木の小屋」では「臨済録」の原文全文をページで公開しています。


で、現在「臨済録」の原文に現代語訳を少しずつ進めています。

毎朝10分くらいずつしか作業をしていないのですが、大体半年かけて、半分くらいは訳すことができました。


現代訳も、当ブログで、ゆっくりと紹介したいと思います。

最終的には全体を一冊の書籍にしたいと考えています。

 

今回は一番初めの序の部分です。

「臨済録」が、どのような人たちに読まれていたのか、どのような人たちが帰依していたのかがわかる部分になります。


「臨済録」より

[原文]延康殿學士、金紫光祿大夫、真定府路安撫使、兼馬步軍都總管、兼知成德軍府事馬防、撰。

[現代語訳]延康殿學士、金紫光祿大夫、真定府路安撫使、兼馬步軍都總管、兼知成德軍府事馬防、撰す。

 

今回の部分は、原文と現代語訳がほとんど変わりません。

この文は、序文を書いた、宋の時代の馬防という人物の肩書きの列挙になっています。


延康殿學士と金紫光祿大夫はいずれも栄誉称号。 

真定府路安撫使は真定府(河北の一地域、鎮州とも)に中央から派遣された監察官。

馬步軍都總管の馬步軍は禁軍に属する騎兵と歩兵で都總管はその総司令官。


これらの肩書きから、馬防という人は河北の地に縁のある軍人であると思われます。

残念ながら馬防という人物について触れている史書がないので、詳しいことはわかりません。

ただ、軍に属する高位の軍人が臨済の教えに親しみを持っていたとはいえそうです。


安史の乱の後、唐の国の周辺部は実際上の軍閥が割拠している状態でした。

臨済はその頃、河北で禅の修行を行っていましたが、河北も軍閥が力を持っていたところ。

臨済の教えは、地元の軍閥の有力者に浸透していたのでしょう。

その状況が、宋の時代にまで残っていたのだろうと想像できます。

それで、「臨済録」の序文に、地方の軍の有力者が序文をつけた、ということだと思います。


*****


次回以降、本文の紹介をしていきます。

引き続きよろしくお願いします。



臨済録原文全文

 

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