こんにちは、暖淡堂です。
十八史略では炎帝神農氏の後は黄帝軒轅氏の時代になります。
十八史略の原文は以下のとおりです。
遂代炎帝爲天子。土德王。以雲紀官、爲雲師。作舟車以済不通。得風后爲相、力牧爲将。受河圖。見日月星辰之象、始有星官之書。師大撓占斗建作甲子、容成造暦、隷首作算数。伶倫取嶰谷之竹、制十二律筩、以聴鳳鳴。雄鳴六、雌鳴六。以黄鍾之宮、生六律六呂、以候氣應、鑄十二鍾、以和五音。
嘗晝寝。夢遊華胥之國、怡然自得。其後天下大治、幾若華胥。世傳、黄帝采銅鑄鼎。鼎成。有龍、垂胡髯下迎。帝騎龍上天。羣臣後宮、従者七十餘人。小臣不得上、悉持龍髯。髯拔。堕弓。抱其弓而號。黄帝二十五子。其得姓者十四。
黄帝の出生が書かれています。黄帝は有熊国の君少典の子になります。
黄帝の母は、ある夜大きな雷光が北極星の周りを廻るのを見て、その光景に感じて黄帝を産みました。
少典の子ですが、その母が妊娠中にこのような光景を目にした、ということかもしれません。
その頃、炎帝氏の影響力は弱まり、諸侯がお互いに攻め合うようになっていました。黄帝は武力を用いることを学び力をつけます。
そして、諸侯のうち、自らになびかない者を征伐しました。その結果、諸侯らは黄帝に従います。
ついには炎帝氏と阪泉の野で戦い、これに勝ちます。
黄帝氏は炎帝氏に代わりますが、反乱を起こす者がいました。それが蚩尤です。
蚩尤の額は銅鉄のように堅かったといいます。また濃霧を発生させて人々を惑わすということもできたようです。
濃霧の中では、方角がわからず、戦いに不利です。
そこで黄帝は、いつも南を指さす指南車を作ります。
この指南車を使って、黄帝は涿鹿の野で蚩尤と戦い、勝ちます。
黄帝はその後、天子となって国々を治めます。黄帝の治世下で、天文の書や暦、計算法などが編み出されます。
ある日、黄帝は昼寝をしていて華胥の国で遊ぶ夢を見ます。華胥の国とは理想の国、ユートピアのことです。
その夢から覚めた黄帝は善政を行ったのでしょう。国は大いに治ったといいます。世の中は華胥の国のようになりました。
黄帝が亡くなる時、龍が現れます。黄帝は龍が垂らした髯に捕まって上り、龍に乗って昇天します。
臣下や後宮にいたもののうち七十人くらいが黄帝に従うことができました。それ以外の人たちも一緒に行こうとして髯をつかみます。
しかし、髯は抜け落ちてしまいます。
そこに、上空から弓が落ちて来ます。残された人たちはその弓を抱いて泣きました。
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十八史略の原文データ化の進捗は以下のリンクからご確認ください。ゆっくりと進めています。どうぞよろしくお願いします。
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