示衆(7)「無事是貴人」(無事であること、これすなわち貴人なのだ)「臨済録」より

2023-03-04

古典 臨済録

 

こんにちは、暖淡堂です。

「示衆」の7回目です。

ここでも繰り返し、余計なことをしなくていい、と臨済は言います。


臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 

「喝!!」の声が戦乱と混沌の世に響いた 臨済の生きた時代


  

師示衆云、道流、切要求取真正見解、向天下橫行、免被這一般精魅惑亂。

師は人々に向かって言った、君たちは、なによりも真に正しい見解に立つことだ、天下を歩き回って、いかがわしいことを言う禅坊主に惑わされることなどないように、と。


無事是貴人。

無事であること、これすなわち貴人なのだ。


但莫造作、祇是平常。

余計なことはするな、ただ平常であれ。


爾擬向外傍家求過、覓腳手。

君たちは外に向かいニセものの周りをうろついては修行の助けを求めている。


錯了也。

まったくの誤りだ。


祇擬求佛、佛是名句。

仏を求めようとしても、仏などはただの名前に過ぎない。


爾還識馳求底麼。

君たちは、なにかを求めてうろついているのが誰なのか知っているのか。


三世十方佛祖出來、也祇為求法。

三世十方の仏祖が出て来たのは、ただ法を求めてのことだ。


如今參學道流、也祇為求法。

今参学して修行している諸君もまた、ただ法を求めている。


得法始了。

法を得たところで終わり。


未得、依前輪回五道。

法を得られない間は、それまでのように五道を輪廻するだけだ。


云何是法。

なにを法と言っているのか。


法者是心法。

法とは心のことだ。


心法無形、通貫十方、目前現用。

心は形なく、世界中を通貫し、目前にまさに働いている。


人信不及、便乃認名認句、向文字中、求意度佛法。

人はそのことを信じきれないため、名づけられたり言葉で言われたり、文字で書かれたりしたものに向かって仏法というものをはかろうとする。


天地懸殊。

しかし仏法は、そんなものは天と地ほどにかけ離れているのだ。

 

無事是貴人。

殊更なことをせずに、平穏でいること。

本来あるがままの姿、心持ちであること。

これは老荘思想や黄老思想、管子の心術などで説かれる「道」のあり方でもあります。

禅と中国の古代からの思想の馴染みのよさが感じられる部分ですね。


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