こんにちは、暖淡堂です。
「示衆」の9回目です。
ここでも臨済は繰り返します。ことさらなことなどしなくていいのだ、と。
普段通りに生きて、ヒトとしてすることは当たり前にやって、無理なことはやらない。
その日々がそのままで解脱なのだ、と。
臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。
師示衆云、道流、佛法無用功處、祇是平常無事。
師は集まった人々に向かって言った、諸君、仏法とは何かに役立つ効果などない、ただ平常無事であることだ、と。
屙屎送尿、著衣喫飯、困來即臥。
大小便を排泄し、服を着て飯を食い、疲れたら座ればいい。
愚人笑我、智乃知焉。
愚かな者は私を笑うだろうが、智者ならばここがすぐにわかる。
古人云、向外作工夫、總是癡頑漢。
昔の人は言っている、外に向かってことさらなことをなすなど、すべて頑固な愚か者のすることだ、と。
爾且隨處作主、立處皆真。
君たちはただその場で主人となれば、すぐに皆真実となる。
境來回換不得。
外の環境が変化しても、それを変えることはできない。
縱有從來習氣、五無間業、自為解脫大海。
たとえそれまでに身についてしまった煩悩や、犯してしまった五無間の業があったとしても、それらは自ずから解脱して広々とした大海のようなものになるのだ。
普通に食事をし、衣服を身につけ、便意を催せば用を足す。
疲れたならば休む。無理に頑張らない。
これは、外の世界に引きずられないための肝心のところ。
もし外の世界で自分はこのように認められたい、あの人の持っているようなものを自分も手に入れたい、そう考えてしまったら、無理な努力をしてしまうかもしれません。
そうなると、もう自分の主人は外の世界にいることになってしまいます。
その主人の言いなりにならないと、欲しいのは手に入らないと思い込まされてしまう。
価値判断も、手に入れる手段も、すべて自分意外の誰かが持っている。
そして、操られてしまいます。
自分が自分の主人になること。
それがなによりも大切なことですね。
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「臨済録」現代語訳は、全文の推敲を終えたら関連する地図、臨済の生きた時代の年表などと合わせて書籍にする予定です。
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