こんにちは、暖淡堂です。
「示衆」の39回目です。
ここでは、改めて「真の仏、真の法、真の道とはどのようなものでしょうか」と修行僧が問います。
それに、臨済はどのように説くでしょうか。
臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。
問、如何是真佛真法真道、乞垂開示。
修行者が質問した、真の仏、真の法、真の道とはどのようなものでしょうか、どうぞ教えてください、と。
師云、佛者心清淨是。法者心光明是。道者處處無礙淨光是。
師は答えた、仏とは心が清浄であることである、法とは心の光明のことである、道とはどのような場所でもさえぎられず光で照らされていることである、と。
三即一、皆是空名、而無寔有。
これら三つのものはそのまま一であり、皆空名であって、真の実体があるわけではない。
如真正學道人、念念心不間斷。
真の修行者であれば、一念一念が途切れることはない。
自達磨大師從西土來、祇是覓箇不受人惑底人。
達磨大師が西土より来たって、人の惑いを受けない者をただ求めた。
後遇二祖、一言便了、始知從前虛用功夫。
後に二祖に出会うが、二祖は一言で、それまでの修行では、ただ工夫を虚しく用いていたことを悟ったのだ。
山僧今日見處、與祖佛不別。
私が今理解しているところは、祖仏とまったく同じだ。
若第一句中得、與祖佛為師。
もし第一句の中で悟りを得たら、祖仏のための師となる。
若第二句中得、與人天為師。
第二句の中で悟りを得たら、人の世のための師となる。
若第三句中得、自救不了。
もし第三句の中で悟るようであれば、自らを救うこともできない。
「仏とは心が清浄であることである、法とは心の光明のことである、道とはどのような場所でもさえぎられず光で照らされていることである」
仏と法と道は三つで一つであり、空であり、そして実体はない。
そして達磨大師を継いだ二祖(慧可(えか))が気づいたことは「それまでの修行では、ただ工夫を虚しく用いていた」だけなのだということだ。
そう臨済は言います。
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「臨済録」現代語訳は、全文の推敲を終えたら関連する地図、臨済の生きた時代の年表などと合わせて書籍にする予定です。
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