示衆(40)「為爾向一切處馳求心不能歇」(君たちがなにかを求めてそこら中を駆け回るということをやめないからわからないのだ)「臨済録」より

2023-05-24

古典 臨済録

 

こんにちは、暖淡堂です。

「示衆」の40回目です。

修行僧たちと臨済との対話は続きます。

僧たちは繰り返し、修行で得られるものは何かを確かめようとします。

それに対して臨済はどのように答えるでしょうか。



臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 

「喝!!」の声が戦乱と混沌の世に響いた 臨済の生きた時代


  

問、如何是西來意。

修行の僧が質問した、祖師が西から来たその意味とはなんでしょうか、と。


師云、若有意、自救不了。

師は答えた、もし意味などあったら、自らを救うこともできずに終わってしまっただろう、と。


云、既無意、云何二祖得法。

僧が質問した、なんの意味もないとしたら、二祖はどのような法を得たというのでしょうか、と。


師云、得者是不得。

師は言った、得たというのは得たものなどないということだ、と。


云、既若不得、云何是不得底意。

僧はさらに尋ねた、もし得ていないとしたら、その得ていないものとはなんでしょうか、と。


師云、為爾向一切處馳求心不能歇。

師は答えた、君たちがなにかを求めてそこら中を駆け回るということをやめないからわからないのだ。


所以祖師言、咄哉丈夫、將頭覓頭。

だから祖師も言っている、立派な者たちがなんたることだ、頭をもってさらに頭を求めているとは、と。


爾言下便自回光返照、更不別求、知身心與祖佛不別、當下無事、方名得法。

その言下に、すぐに自らの光で内側を照らし、もう自分以外のものを求めることをせず、身心が祖仏と別のものではないことを知れば、その瞬間から無事の人となる、それがまさに得法と名づけられるものだ。


大德、山僧今時、事不獲已、話度說出許多不才淨。

諸君、私は今日、やむを得ない事情で、ここに出てきてあまりにもぼんやりとした話をしてしまった。


爾且莫錯。

君たちには間違わないで欲しい。


據我見處、寔無許多般道理。

私の見るところ、様々な道理などまったくないのだ。


要用便用、不用便休。

道理など用いる必要があれば用い、そうでなければ忘れていていい。


祇如諸方說六度萬行、以為佛法、我道、是莊嚴門佛事門、非是佛法。

世の人たちは六度(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)万行の実践が、仏法を実現するためのものなどと説くが、私は言う、それは飾り立てた門や見た目だけ立派な修行の手引きのようなものであって、仏法などではない、と。


乃至持齋持戒、擎油不㴸、道眼不明、盡須抵債、索飯錢有日在。

あるいは戒律を神妙に守り、油を入れた器を掲げ持って一滴も落とさないような慎重さをもって修行しても、道を見る目は不明なまま、そんなことでは借金が溜まるようなもの、やがて飯代のツケを請求される日が来るだろう。


何故如此。

なぜこのようになるか。


入道不通理、復身還信施。

修行をしても理に明らかにならなければ、受け取ったものを生まれ変わって返すことになるのだ。


長者八十一、其樹不生耳。

長者が八十一歳になるまでの長い間、木に生える木耳となって、長者の布施に対する礼をしなければならなかった僧の話もある。


乃至孤峰獨宿、一食卯齋、長坐不臥、六時行道、皆是造業底人。

あるいは山中に一人住まいして、食事を朝の一食のみとし、横たわって休むことなく座り続け、日に六度の勤行にはげむ者がいるが、そんなことはみな業づくりだ。


乃至頭目髓腦、國城妻子、象馬七珍、盡皆捨施、如是等見、皆是苦身心故、還招苦果。

また頭や目、髄や脳、国や城、妻や子、象や馬や七珍など、ことごとく布施としても、これらの価値に違いはない、みな心身を苦しめているだけ、かえって苦しみという結果を招くだけだ。


不如無事、純一無雜。

ことさらなことをしないのが一番だ、純粋で、雑多なものなどないのがよい。


乃至十地滿心菩薩、皆求此道流蹤跡、了不可得。

十地での修行を果たした菩薩の修行のあとをたどってみようとしても、誰もできずに終わる。


所以諸天歡喜、地神捧足、十方諸佛、無不稱歎。

そのことを、諸天の神々が歓喜し、地神が足をささげ、十方の諸仏はすべて讃嘆する。


緣何如此。

どうしてこのようになるのかわかるか。


為今聽法道人、用處無蹤跡。

今ここで法の話を聞いている君たちも、そのはたらきの痕跡を残していないではないか。



 

かつて菩薩がどのように修行をしたのか。

その痕跡はどこにも残っていません。

残っていないものを、後に続くものが追うことができるでしょうか。

痕跡を残さないというのであれば、今そこで話を聴いている誰もが、その痕跡などどこにも残せません。

それは、かの菩薩と同じこと。

ことさらなことをする必要はないのだ。

純粋でいることが大切なのだ。

そう臨済は言います。


*****


「臨済録」現代語訳は、全文の推敲を終えたら関連する地図、臨済の生きた時代の年表などと合わせて書籍にする予定です。

 

臨済録原文全文リンク

 

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