こんにちは、暖淡堂です。
「勘辨」の5回目です。
ここにも普化が出てきます。
そして、臨済と対等以上の問答をしています。
どのような内容になるでしょうか。
臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。
師一日、與河陽木塔長老、同在僧堂地爐內坐。
師がある日、河陽、木塔の二人の長老と、僧堂の囲炉裏を囲んで座って話をしていた。
因說、普化每日在街市、掣風掣顛。
そこで師は、普化が每日市街に出て、なんだか気狂いじみたことをしているようです、と話題にした。
知他是凡是聖。
さて、彼は凡愚なのでしょうか、または聖者なのでしょうか、と。
言猶未了、普化入來。
そう言い終わる前に、普化が入って来た。
師便問、汝是凡是聖。
師はそこで問うた、汝は凡愚なのか、聖者なのか。
普化云、汝且道、我是凡是聖。
普化が答えた、それは汝が言え、我は凡愚か聖者か。
師便喝。
師はそこで一喝した。
普化以手指云、河陽新婦子、木塔老婆禪。
普化は手を上げ指差して言った、河陽は新婦子、木塔は老婆の禅。
臨濟小廝兒、卻具一隻眼。
臨済は丁稚の小僧だが、かえって物事を見透す目がある。
師云、這賊。
師は言った、この賊め、と。
普化云賊賊、便出去。
普化は賊賊と言いながら、部屋を出ていった。
一日、普化在僧堂前、喫生菜。
ある日、普化が僧堂の前で、生の野菜をかじっていた。
師見云、大似一頭驢。
師はそれを見て言った、まったく一頭の驢馬のようだ、と。
普化便作驢鳴。
普化はそこで驢馬の鳴き声を上げた。
師云、這賊。
師は言った、この賊め、と。
普化云賊賊、便出去。
普化は賊賊と言いながら、そこを立ち去った。
普化は臨済の一喝をものともしません。
むしろそれを機会に、臨済の懐に入り込み、逆に臨済を投げ飛ばしているような問答になっています。
臨済は普化のことを「賊」と言います。
これは臨済が修行僧たちに繰り返し説いていた「経典の言葉、教義などに囚われないありのままの自分自身」で生きている人のことではないでしょうか。
臨済はその一つの実現を普化のあり方に見ていたのかもしれません。
臨済は間違いなく、普化とのやり取りで、自分自身の禅を一歩ずつ進めて行ったのでしょう。
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「臨済録」現代語訳は、全文の推敲を終えたら関連する地図、臨済の生きた時代の年表などと合わせて書籍にする予定です。
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