こんにちは、暖淡堂です。
「勘辨」の4回目です。
臨済は普化を伴って施主家の食事に招かれています。
ここで臨済は普化に「神通」について問いかけています。
普化はどのように答えるでしょうか。
臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。
師、一日同普化、赴施主家齋次、師問、毛吞巨海、芥納須彌。
師がある日、普化をともない、施主の家へ斎事に招かれて行った際、普化に問うた、毛は巨海を呑み、芥子粒は須弥山を納めるという。
為是神通妙用、本體如然。
これは神通の不思議な働きなのか、それとも本体そのままの現れなのか、と。
普化踏倒飯床。
それを聞き、普化はいきなり食膳を踏み倒した。
師云、太麤生。
師は言った、なんて雑な答えだ、と。
普化云、這裡是什麼所在、說麤說細。
普化が言った、ここを一体なんの場所だと思って、雑だの細かいだのというのか、と。
師來日、又同普化赴齋。
師は次の日も、普化をともなって斎事に赴いた。
問、今日供養、何似昨日。
師は問うた、今日の供養は、昨日と比べてどうだ、と。
普化依前踏倒飯床。
普化はまた同じように食膳を踏み倒した。
師云、得即得、太麤生。
師は言った、得るには得ているが、まったく雑だ、と。
普化云、瞎漢、佛法說什麼麤細。
普化が言った、どこを見ている、仏法は雑だの細かいだのと説いてなどいないぞ、と。
師乃吐舌。
師はそれを聞いて舌を出した。
普化は臨済の問いに対し、いかにも普化らしい答え方をしています。
毛や芥子粒はとても小さいもの。
それに巨海や須弥山が入ってしまうのはどうしてか。
普化は食事の載った膳を蹴り倒します。
翌日も臨済と普化は斎に赴き、同じようなやり取りをします。
食事の載った前を踏み倒して、
「どこを見ている、仏法は雑だの細かいだのと説いてなどいないぞ」
と、普化は言います。
それはまた、臨済が求めていた答えだったのかもしれません。
喝と大声を出したり、棒で打ったり、食膳を蹴り倒したり、禅のやり取りは乱暴なものが目立つようです。
一方で溈山や仰山などの静かな問答もあります。
どちらが正しいということもないでしょう。
あれこれと、ことさらなことはしないでいい。
今、ここ、にそのままの姿であればいい。
そういうことではないでしょうか。
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「臨済録」現代語訳は、全文の推敲を終えたら関連する地図、臨済の生きた時代の年表などと合わせて書籍にする予定です。
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