こんにちは、暖淡堂です。
十八史略のデータ化を進めています。
中国の歴史書は、ちょっと変わった姿の王たちの記述から始まります。
伏羲や女媧は、身体が蛇でその上に人間の首がついているような姿。
それでも、伏羲は人々に結婚というしきたりを定着させたり、狩猟をして食物を得ることを教えたり、火で加熱調理をしたりすることを広めたりしていました。
女媧は楽器を発明したり、諸侯が争って乱れてしまった世の中を立て直したりして、その指導力を発揮します。
変わった姿をしていましたが、その功績は大。
この伏羲と女媧は風姓の王。風姓の王は十五代続きました。
伏羲と女媧の記事は以下をご参照ください。
その後に王となったのが炎帝神農氏。姜姓の王です。
十八史略の記述を紹介します。
炎帝神農氏の姿が書かれています。人身牛首。人の身体の上に牛の首がついているような姿だったようです。
ネット上の画像を見ると、おでこにツノのような尖ったコブがあるように描かれているものが多く見つかります。それを牛の首と表現したのでしょう。
炎帝神農氏は火徳の王。伏羲や女媧の木徳に続く火徳ですね。五行の「木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生ずる」の順番です。
炎帝神農氏は鍬や鋤を使って農耕することや、収穫を感謝してお祭りをすることを教えました。
また、赤い鞭で草木を探り、実際に百草を舐めてみて薬になるものを見つけました。それを人々に教えたのが医薬の始まり。
リンクの画像でも、草の根を齧っているように描かれていますね。
市場を開いて交易することを教えたのも炎帝神農氏。
その後の人々の暮らしの基本を整えたということでしょうね。
はじめ、都を陳にしていましたが、やがて曲阜に移ります。
曲阜は春秋戦国期の魯の国の首都でもありました。
炎帝の時代は神農氏からおよそ八代続きます。その期間五百二十年でした。
この後に登場するのが黄帝です。
そのあたりはまたあらためて。
引き続きよろしくお願いします。
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十八史略の原文は以下のリンクからご覧ください。
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