示衆(46)「龍象蹴踏、非驢所堪」(龍象の一蹴りは、驢馬の耐え得るところではない)「臨済録」より

2023-06-01

古典 臨済録

 

こんにちは、暖淡堂です。

「示衆」の46回目です。

臨済の言葉の真意をいまだ理解できない様子の修行僧たちに、それでも臨済は語り続けます。

自分も修行を始めた頃はなにもわかっていなかった、と。



臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 

「喝!!」の声が戦乱と混沌の世に響いた 臨済の生きた時代


  

大德、莫因循過日。

諸君、ぐずぐずと先延ばしするばかりの日を過ごしてはいけない。


山僧往日、未有見處時、黑漫漫地。

私もかつて、まだしっかりとした見處を持っていたかった時には、真っ暗なところにいた。


光陰不可空過、腹熱心忙、奔波訪道。

時間をむなしく過ぎさせないようにと思えば、腹は熱し心は騒ぎ、忙しく駆け回って道を訪ねたものだ。


後還得力、始到今日、共道流如是話度。

後にさまざまなお陰をこうむって、今日に至り、君たちとこうして向き合って話をしている。


勸諸道流、莫為衣食。

諸君に勧める、何事も衣食のためになそうとするな。


看世界易過、善知識難遇。

見たまえ、我々の世界での一生はあっという間に過ぎてしまい、善知識に遇うなんて至難の業だ。


如優曇花時一現耳。

まるで優曇華の花が咲く一瞬に出会うかのようなものだ。


爾諸方聞道有箇臨濟老漢、出來便擬問難、教語不得。

君たちはどこかでこの臨済という男のことを耳にして、わざわざ出て来て難問をふっかけ、何らかの語を必ずつかみとろうとしたのだろう。


被山僧全體作用、學人空開得眼、口總動不得。

しかし私があるがままで働きかけると、学びにきたものもただぽっかりと目を開くだけ、口も動かすことができなくなってしまう。


懵然不知以何答我。

呆然として私に何を答えていいのかを知らないままだ。


我向伊道、龍象蹴踏、非驢所堪。

そんな修行者に私は言う、龍象の一蹴りは、驢馬の耐え得るところではない、と。


爾諸處祇指胸點肋、道我解禪解道、三箇兩箇、到這裡不奈何。

君たちはあちらこちらで自分の胸を指差し肋を示して、自分は禅も道も理解したと言って歩いているが、そんな者たちが二、三人集まっても、到底私のところに辿り着くのは無理だ。


咄哉、爾將這箇身心、到處簸兩片皮、誑謼閭閻。

にもかかわらず、ああ、君たちはそんな身体と心でもって、いたる所で口先をペラペラさせて、人々を誑かしている。


喫鐵棒有日在。

閻魔大王の鉄棒で打たれる日がきっと来るぞ。


非出家兒、盡向阿修羅界攝。

そんなのでは出家して修行したことにはならない、ただ阿修羅界に向かってことごとく捕らわれていくだけだ。



 

修行僧たちは臨済のもとに来るまでに、すでに何らかのものを学んでいます。

祖師の言葉であったり、経典に書かれている教えてあったり。

そしてそれなりに自信を持っていたのでしょうが、臨済の面前に立つと、簡単な言葉も出てきません。

まるで龍象に蹴られた驢馬(ロバ)のようなもの。

そんな様子では、それまでに学んだものがまったく無駄であったということ。

そんなものを学ぶ時間があれば、自分自身をしっかりと理解することが大事なのだ。

そう臨済は言います。


*****


「臨済録」現代語訳は、全文の推敲を終えたら関連する地図、臨済の生きた時代の年表などと合わせて書籍にする予定です。

 

臨済録原文全文リンク

 

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