こんにちは、暖淡堂です。
「行錄」の20回目です。
臨済は鳳林のもとを訪れます。
その前に老婆とちょっとしたやり取りがあります。
それはどのようなものになったでしょうか。
臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。
往鳳林。
師は鳳林に向かった。
路逢一婆。
途中の路で一人の婆と逢った。
婆問、甚處去。
婆は問うた、どこへ行かれるのか、と。
師云、鳳林去。
師は答えた、鳳林に行くところだ、と。
婆云、恰值鳳林不在。
婆は言った、ちょうど今鳳林和尚は不在ですよ、と。
師云、甚處去。
師は言った、どこに行っているのか、と。
婆便行。
婆は立ち去ろうとした。
師乃喚婆。
師は婆を呼んだ。
婆回頭。
婆は頭を回して振り返った。
師便打。
師はそこで打った。
*
到鳳林。
鳳林和尚のもとに至った。
林問、有事相借問、得麼。
鳳林和尚は問うた、ひとつ質問しようと思うが、よろしいか、と。
師云、何得剜肉作瘡。
師は言った、傷のない肌をわざわざ傷つけるようなもの、それでなにが得られましょう、と。
林云、海月澄無影、遊魚獨自迷。
鳳林和尚は言った、海の月は澄んで影無し、遊魚は独り自ら迷う、と。
師云、海月既無影、遊魚何得迷。
師は言った、海の月は既に影無し、遊魚なんぞ迷うことを得ん、と。
鳳林云、觀風知浪起、翫水野帆飄。
鳳林和尚が言った、風を観れば浪起こるを知り、水を翫(め)でれば野に帆翻る、と。
師云、孤輪獨照江山靜、自笑一聲天地驚。
師は言った、孤輪独り照らす江山は静か、自笑する一声は天地を驚かす、と。
林云、任將三寸輝天地、一句臨機試道看。
鳳林和尚は言った、三寸の舌先をもって天地を輝かせたとしても、一句の臨機で試みに言ってみよ、と。
師云、路逢劍客須呈劍、不是詩人莫獻詩。
師は言った、道に剣客に逢えば剣を見せよ、それが詩人でなければ詩を献ずるな、と。
鳳林便休。
鳳林和尚はそこで対話を止めた。
師乃有頌、大道絕同、任向西東、石火莫及、電光罔通。
師は頌を作った、大道は同じものがなく、自由に東西に向かい、石火もこれに及ばず、電光もその後を追い切れない、と。
溈山問仰山、石火莫及、電光罔通。
溈山は仰山に問うた、石火もこれに及ばず、電光もその後を追い切れない。
從上諸聖、將什麼為人。
そうであればこれまでの諸聖は、なにをもって人を教えたのだろうか、と。
仰山云、和尚意作麼生。
仰山は言った、和尚はどのように思いますか、と。
溈山云、但有言說、都無實義。
溈山は言った、ただ言説だけが有って、皆実際の意義などない、と。
仰山云、不然。
仰山は答えた、そうではないでしょう、と。
溈山云、子又作麼生。
溈山は言った、そなたはどう思う、と。
仰山云、官不容針、私通車馬。
仰山は言った、公には針をも通さずとも、裏では馬や車が勝手に通り抜けています、と。
溈山は、古人たちの教えは電光石火のようなもの、誰も追い切れないが、そもそもそんな言葉には意味などなかったのだ、と言います。
それに対し、仰山は言います、表向きには誰も通さないが、裏ではこっそりと馬も車も通り抜けています。
言葉の上での厳しさはあっても、通り抜ける術はあるものだ。
そう言っているように思えます。
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「臨済録」現代語訳は、全文の推敲を終えたら関連する地図、臨済の生きた時代の年表などと合わせて書籍にする予定です。
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