上堂(2)「大悲千手眼、那箇是正眼」(大悲千手の観音菩薩の手のひらの眼は、いったいどれが真っ直ぐに向き合う眼なのか) 「臨済録」より

2023-01-13

古典 臨済録

臨済録原文全文と現代語訳

 

こんにちは、暖淡堂です。

今回は「上堂」の2回目です。

河北を治めていた藩鎮の一つ、成徳府(成徳軍節度使)主の王常侍に依頼されて行われた説教の続きです。


この日、臨済は王常侍から説法を依頼され、修行僧たちが集まる堂で上座に上ります。

臨済が話し始めようとすると、麻谷まよくという僧が出てきて、「大悲千手眼、那箇是正眼」という問いを発します。

大悲千手眼とは腕が千本あり、それぞれの手のひらに目がある観世音菩薩のことです。

麻谷は、この観世音菩薩にあるたくさんの目のうち、どれが本物か、どれがまっすぐに見ている目なのか、という意味の質問をしたわけですね。

臨済と麻谷とは、この大悲千手眼の観世音菩薩をめぐって、どのようなやりとりをするでしょうか。


臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 

「喝!!」の声が戦乱と混沌の世に響いた 臨済の生きた時代


師、因一日到河府。

師はある日、河北府に出かけた。


府主王常侍、請師升座。

そこで河北府の知事王常侍が、師に説法を願った。


時麻谷出問、大悲千手眼、那箇是正眼。

師が壇に上ると麻谷が前に出て質問した、大悲千手の観音菩薩の手のひらの眼は、いったいどれが真っ直ぐに向き合う眼なのでしょうか、と。


師云、大悲千手眼、那箇是正眼、速道速道。

師は言った、大悲千手の観音菩薩の手のひらの眼は、いったいどれが真っ直ぐに向き合う眼なのか、さあ言え、さあ言え、と。


麻谷拽師下座、麻谷卻坐。

麻谷は師を引っ張って座から下ろし、かわりに麻谷自身が座に着いた。


師近前云、不審。

師は近づいて言った、やあ、こんにちは、と。


麻谷擬議。

麻谷はすぐに応じることは出来なかった。


師亦拽麻谷下座、師卻坐。

師はまた麻谷を座から引きずり下ろし、かわりに座に着いた。


麻谷便出去。

麻谷はすぐに堂から出て行った。


師便下座。

師も座から速やかに下りた。 

 

ここでの臨済と麻谷とのやり取りは、くるくると視点が変わります。

この視点の移動を始めたのは麻谷なのですが、その移動の速度も頻度も臨済にかないません。

むしろ身軽さは臨済の方がずっと上。

そのことに気づいた麻谷はさっさと退場します。

麻谷が気づいたと知った臨済もその場を去ります。


残された僧たちは、二人のやり取りに、なにを見たでしょうか。

私たちは、ここからなにを見てとるべきでしょうか。


この場面で感じるのは、「問う」ということの心の動きです。

何かに疑問を感じたときに私たちは「問う」のですが、それに答えをだすのは、本来は誰なのでしょう。

疑問に思い、その答えが求められるのは、誰なのでしょう。

誰が答えたとき、その疑問は解消するのでしょうか。


上の対話の中では麻谷は臨済に問うています。

しかし、臨在はその答えを示すよりも、麻谷自身がどんな答えをもっているのかを聞きます。

それに対して麻谷は、おそらくは自分自身の答えを持っているため、臨済に対してその座を代わろうとします。

しかし、その麻谷の答えとは、臨済が体現する在り方と比べるとまだ一歩足りないようです。

それで遅疑が生じます。


麻谷は自身の答えに不十分さのあることに気づき、臨在は自分もまだやるべきことがあることを思い出した。

そんな場面に思えます。


あるいは、問うことと答えを出すこととが、同じことである、ということも読み取れるかもしれません。

自分自身に問い、その問いを意識したときにすでに心がそれに応じるようになんらかの変化をきたしている。

それが答え。

であれば、問うことで自らを整えていくということも、あるのかもしれません。


*****

 

臨済録原文全文リンク

 

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