こんにちは、暖淡堂です。
「上堂」の4回目。
臨済は、集まっている僧たちと、「喝」についての問答を三通り行います。
一つ目は、臨在が上堂してすぐ。
一人の僧が師の前に出てきます。
臨在はすかさず一喝します。
前に出てきた僧は、今の喝は、自分を試すためのものでしょうか、と問います。
臨在は、お前自身はどこに落ち着くのか、と、尋ねます。
そこで僧は一喝を返します。
この僧は、この時、もうなにかを得ているようです。
二つ目は、僧が仏法の根本の教えを尋ねた時。
臨在は一喝を与えます。
そして、その一喝で、僧はなにを得たのか、探りを入れます。
草賊大敗、再犯不容、と僧は答えます。
草賊は大敗けだ、再び犯したら容赦しないぞ、と。
おそらく、たった一度きりの機会に得たものを、いつまでもいじくり回すなという意味かもしれません。
そう言い得た僧の言葉に、臨在は一喝します。
もしかしたら、臨在は嬉しかったのかもしれません。
三つ目は両堂の首座が互いに交わした一喝について。
一人の僧が、二人の首座が行った喝について、どちらが主でどちらが客か、そう尋ねます。
臨在は、二人の喝の主と客は明白だ、と言います。
そして、それが知りたかったら、堂中にいる二人の首座に直接聴いてみなさい、と。
それだけ言って、臨在は座から下ります。
さて、臨在はここで、なにが言いたかったのでしょうか。
この二つの主客を、質問した僧の視点で見たために主客が別れたのだ、ということもあるかもしれません。
あるいは、僧に向かって、主はお前だけだろう、と言っているのかもしれません。
これらのやり取りは、ただの記録ではありません。
臨済の「喝」について、この記述から読み取るべきものがあります。
臨済の相手となった僧たちがそれぞれ得たものを、考えながら暮らしてみませんか。
臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。
上堂。有僧出禮拜。師便喝。
師が上堂した。一人の僧が前に出て礼拝した。師はすかさず喝した。
僧云、老和尚莫探頭好。
僧が言った、老師、私の頭の中を探ったということでなければよいのですが、と。
師云、爾道落在什麼處。
師は言った、お前はそれがどこに落ち着くというのだ、と。
僧便喝。
僧はそこで喝した。
又有僧問、如何是佛法大意。
また一人の僧が質問した、佛法の根本の教えをお聞かせください、と。
師便喝。
師はそこで一喝した。
僧禮拜。
僧は礼拝した。
師云、爾道好喝也無。
師は、お前は今の一喝を好いものと思わなかったか、と言った。
僧云、草賊大敗。
僧は答えた、草賊は大敗しました、と。
師云、過在什麼處。
師は、過ちはどこにあったのか、と尋ねた。
僧云、再犯不容。
僧は答えた、再び過ちを犯すのは許されないぞ、と。
師便喝。
師はすかさず一喝した。
是日兩堂首座相見、同時下喝。
この日両堂の首座が顔を合わせると、同時に一喝した。
僧問師、還有賓主也無。
僧が師に質問した、両堂の首座には主人と賓客との違いはあったのでしょうか、と。
師云、賓主歷然。
主人と賓客との差は歴然としているではないか、と師は答えた。
師云、大衆、要會臨濟賓主句、問取堂中二首座。
さらに師は言った、諸君、この主人と賓客の言葉の意味を理解しようと思うのなら、堂中にいる二首座に聞いてみればよい、と。
便下座。
そしてすぐに座から下りた。
臨在は、時には喝を、時には棒を使って人々を導きます。
修行僧に対しては、時には平手打ちを加えたり、襟首を掴んで振り回したりすることも。
言葉だけではなく、全身を、その存在全体を使って、自分自身の禅を実現しようとします。
それを私たちは、正しく受け継いでいるでしょうか。
虚空に響く鈴の音のように、どこかに遠ざかってしまっていないか、心配なところです。
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「臨済録」現代語訳は、全文の推敲を終えたら関連する地図、臨済の生きた時代の年表などと合わせて書籍にする予定です。
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