こんにちは、暖淡堂です。
「上堂」の5回目。
前回は喝、今回は棒です。
棒もいろいろな場面で使われます。
いずれも、身体を速やかに動かすことが求めらているように読めます。
心とともに身体も即妙の対応をするべし、と言われているのかもしれません。
臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。
上堂。
師が上堂した。
僧問、如何是佛法大意。
ある僧が質問した、仏法の根本の教えとはどのようなものでしょうか、と。
師豎起拂子。
師は払子を立てた。
僧便喝。師便打。
僧は一喝した。師はそこで打った。
又僧問、如何是佛法大意。
別の僧が質問した、仏法の根本の教えとはどのようなものでしょうか、と。
師亦豎起拂子。僧便喝。
師はまた払子を立てた。僧は一喝した。
師亦喝。僧擬議。師便打。
師も一喝した。僧は速やかな応答ができなかった。師は僧を打った。
師乃云、大衆、夫為法者、不避喪身失命。
師はそこで言った。諸君、仏法を会得しようとして修行する者は、身を喪い命をも失うことを避けてはいけないのだ。
我二十年、在黃檗先師處、三度問佛法的的大意、三度蒙他賜杖。
私は二十年間、黃檗先師のところにいて、三度仏法の真髄について尋ね、三度賜杖で打たれた。
如蒿枝拂著相似。
そんなものは蓬の枝で打たれたようなもの。
如今更思得一頓棒喫。
今またあの時の一棒を受けてみたいと思うものだ。
誰人為我行得。
誰か私のために一棒を加えられる者がいるか。
時有僧出衆云、某甲行得。
その時一人の僧が皆の前に出て言った、私がそれをしましょう、と。
師拈棒與他。
師は棒を差し出してその僧に渡そうとした。
其僧擬接。
僧は受け取ろうとした。
師便打。
師は一棒をくらわした。
タイトルに引用した蒿枝は蓬(よもぎ)の枝。
重たくもなく、硬くもなく。
これで打っても、ふわりと撫でるようなもの。
もちろん黄檗の棒はよもぎの枝のようなものではありません。
しかし、黄檗から学んだものに較べると、棒で打たれた痛みなどなにほどのものでもない。
まるでよもぎの枝で撫でられたようなものだ。
そう言っているのだと思います。
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「臨済録」現代語訳は、全文の推敲を終えたら関連する地図、臨済の生きた時代の年表などと合わせて書籍にする予定です。
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