上堂(6)「師云、禍事、禍事」(師は言った、危ない、危ない、と) 「臨済録」より

2023-01-24

古典 臨済録

臨済録原文全文と現代語訳

 

こんにちは、暖淡堂です。

「上堂」が続きます。

今回の部分は、禅における問答のあり方に焦点をおいています。


師と向き合った修行僧は、どのような状況に置かれるのでしょうか。

もし修行している僧が、その口頭で、まるで真剣の刃を向けるような質問をしたら、臨済はどのように答えるのでしょうか。

また、臨在に対して質問するときに、それぞれの修行僧が持ち出すもので、臨済はその修行僧の抱える問題を見抜いてしまいます。

そんな修行僧たちに対して、臨済はどのようにしたらいいと説くのでしょうか。


臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 

「喝!!」の声が戦乱と混沌の世に響いた 臨済の生きた時代


  

上堂。僧問、如何是劍刃上事。

師が上堂した。僧が質問した、剣の刃を差し向けられた時はどうでしょうか、と。


師云、禍事、禍事。僧擬議。師便打。

師は言った、危ない、危ない、と。僧は身をすくめた。そこを師は打った。


問、祇如石室行者、踏碓忘卻移腳、向什麼處去。

他の僧が質問した、昔、禅堂で働いていた石室の行者は、碓(うす)を使って足で精米しながら無我の境地に入り、自分の足の運びを全く忘却していたそうですが、その時どこに行っていたのでしょうか。


師云、沒溺深泉。

師は答えた、深い泉で溺れていたのだ、と。


師乃云、但有來者、不虧欠伊。

それから師は言った、私のもとに来たならば、欠けるところなどなくその者がわかるのだ、と。


總識伊來處。

そして、それがどんなところから来たのか、すべて知れてしまう。


若與麼來、恰似失卻。

もし、こんな来方をしていたら、それはまるで立場を失っているようなもの。


不與麼來、無繩自縛。

あるいはあんな来方をしたら、繩もないのに自らを縛っているようなもの。


一切時中、莫亂斟酌。

どんな時も、あれこれ気を回して混乱するな。


會與不會、都來是錯。

教えを会得するもしないも、そんなものはみな誤りだ。


分明與麼道。一任天下人貶剝。久立珍重。

こんなふうにはっきりと言って、あとは世間のものたちにあれこれ考えさせればいい。本日はご苦労だった。

 

臨済のもとにくる修行僧たちはみな、それぞれの問題を抱えています。

それは、修行僧自身が、なにも欠けることなく完成していることに気づいていないから。

世間であれこれ言われて、その言葉に引きずられて、迷わされているからです。

混乱するな、自分を見失うな。

臨済はそう諭しています。


*****


「臨済録」現代語訳は、全文の推敲を終えたら関連する地図、臨済の生きた時代の年表などと合わせて書籍にする予定です。

 

臨済録原文全文リンク

 

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