こんにちは、暖淡堂です。
「上堂」が続きます。
今回の部分は、禅における問答のあり方に焦点をおいています。
師と向き合った修行僧は、どのような状況に置かれるのでしょうか。
もし修行している僧が、その口頭で、まるで真剣の刃を向けるような質問をしたら、臨済はどのように答えるのでしょうか。
また、臨在に対して質問するときに、それぞれの修行僧が持ち出すもので、臨済はその修行僧の抱える問題を見抜いてしまいます。
そんな修行僧たちに対して、臨済はどのようにしたらいいと説くのでしょうか。
臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。
上堂。僧問、如何是劍刃上事。
師が上堂した。僧が質問した、剣の刃を差し向けられた時はどうでしょうか、と。
師云、禍事、禍事。僧擬議。師便打。
師は言った、危ない、危ない、と。僧は身をすくめた。そこを師は打った。
問、祇如石室行者、踏碓忘卻移腳、向什麼處去。
他の僧が質問した、昔、禅堂で働いていた石室の行者は、碓(うす)を使って足で精米しながら無我の境地に入り、自分の足の運びを全く忘却していたそうですが、その時どこに行っていたのでしょうか。
師云、沒溺深泉。
師は答えた、深い泉で溺れていたのだ、と。
師乃云、但有來者、不虧欠伊。
それから師は言った、私のもとに来たならば、欠けるところなどなくその者がわかるのだ、と。
總識伊來處。
そして、それがどんなところから来たのか、すべて知れてしまう。
若與麼來、恰似失卻。
もし、こんな来方をしていたら、それはまるで立場を失っているようなもの。
不與麼來、無繩自縛。
あるいはあんな来方をしたら、繩もないのに自らを縛っているようなもの。
一切時中、莫亂斟酌。
どんな時も、あれこれ気を回して混乱するな。
會與不會、都來是錯。
教えを会得するもしないも、そんなものはみな誤りだ。
分明與麼道。一任天下人貶剝。久立珍重。
こんなふうにはっきりと言って、あとは世間のものたちにあれこれ考えさせればいい。本日はご苦労だった。
臨済のもとにくる修行僧たちはみな、それぞれの問題を抱えています。
それは、修行僧自身が、なにも欠けることなく完成していることに気づいていないから。
世間であれこれ言われて、その言葉に引きずられて、迷わされているからです。
混乱するな、自分を見失うな。
臨済はそう諭しています。
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「臨済録」現代語訳は、全文の推敲を終えたら関連する地図、臨済の生きた時代の年表などと合わせて書籍にする予定です。
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