こんにちは、暖淡堂です。
「臨済録」の現代語訳の作業を一通り終えました。
推敲を続けながら、少しずつこの散木の小屋で紹介していきたいと思います。
今回は序文。すでに一部を記事にしていますが、今回は序文全文をあらためて紹介します。
漢文を学ぶときに、原文を書き下し文にするということが通常行われるのですが、当サイトでは原文と現代語訳のみを掲載します。
「臨済録」は語りかけてくる言葉の記録です。できるだけその語りかけの雰囲気に直接触れられるようにと思い、この形にしてみました。
さて、それが成功するかどうか。
この序文を書いた馬防という人は真定府路の安撫使、成徳軍府事などと書かれています。
成徳軍とは唐の末期に河北にあった藩鎮の一つ。
唐末期には仏教への弾圧が行われたのですが、独立勢力ともいえた地方の藩鎮は積極的な弾圧は行わず、むしろ保護していたとも考えられています。
そのような状況も、唐の時代に禅仏教が盛んになっていったことの重要な要因であると考えられます。
なお、成徳軍の領域や臨済の生きた時代の年表は以下のリンクからご確認ください。
鎮州臨濟慧照禪師語錄序
延康殿學士、金紫光祿大夫、真定府路安撫使、兼馬步軍都總管、兼知成德軍府事馬防、撰。
延康殿学士、金紫光禄大夫、真定府路安撫使、兼馬歩軍都総管、兼知成徳軍府事馬防、撰す。
黃檗山頭、曾遭痛棒。大愚肋下、方解築拳。
黃檗の山にいたときは、痛棒をくらうことがあったが、大愚のところでは、あばらの下に拳を突き込んだ。
饒舌老婆、尿床鬼子。這風顛漢、再捋虎鬚。
おしゃべりな婆さんに寝小便小僧と馬鹿にされたのに、この風顛漢は、また懲りずに虎のひげを引っ張ったりした。
巖谷栽松、後人標榜。钁頭斸地、幾被活埋。
岩ばかりの山に植えた松は、後の人のための道しるべとなるだろうが、鋤で地を掘ったのでは、ほとんど活き埋めにするようなもの。
肯箇後生、驀口自摑。辭焚机案、坐斷舌頭。
黄檗はこんな頓馬を受け入れてしまったかとおのれの口を拳骨で打ったが、この頓馬は、出ていくときに大事な机を焼き、師匠の舌を捻じ切ってしまった。
不是河南、便歸河北。院臨古渡、運濟往來。
向かう先が河南でなければ、河北にいくのだとうそぶき、たどり着いた院は古くからの渡し場のちょうど向かいにあって、その渡し場で人々は川を渡っていた。
把定要津、壁立萬仞。奪人奪境、陶鑄仙陀。
その院は、要衝をしっかりと押さえ、見上げるばかりの壁が立っているようなところであった。師はそこを訪ねる者の人格も世間のしがらみも奪いとるようにして、弟子たちを鍛錬した。
三要三玄、鈐鎚衲子。常在家舍、不離途中。
三つの要点と三つの奥深い原理で禅の修行者を鍛え上げた。その教えの要点は、常に自分自身であり、本来あるべき所から離れないこと、であった。
無位真人、面門出入。兩堂齊喝、賓主歷然。
そして、なにものにも囚われない真の姿の自分が、おのおのの顔から出たり入ったりしているのだと言って聞かせた。両堂で等しく喝されたものの、主客の違いははっきりとしている、と説いた。
照用同時、本無前後。菱花對像、虛谷傳聲。
本来、思いと動きはどちらが先、どちらが後と別れてはいない。それは、磨かれた鏡がものを映すようなもの。山谷がこだまを返すようなもの。
妙應無方、不留朕跡。拂衣南邁、戾止大名。
余計なしわざなどなくそのままにに応じ、自分の痕跡を残さないのだと教えた。それからその禅堂を離れて南に向かい、大名府で落ち着いた。
興化師承、東堂迎侍。銅瓶鐵鉢、掩室杜詞。
そこで興化が師の弟子となり、東堂に迎えいれてお仕えることになった。銅の瓶に鉄の鉢だけを持って、部屋の入り口を閉じ、言葉もなくひっそりと過ごした。
松老雲閑、曠然自適。面壁未幾、密付將終。
松は老い、雲が静かに流れるうちに、ゆったりと心のままの日々を送った。壁に向かって座ることもまだそれほど経たないうちに、密かに仏法の伝授は終わっていた。
正法誰傳、瞎驢邊滅。
正法はそれで誰に伝わったというのか、目の見えないロバのところで消えてしまったのではないか。
圓覺老演、今為流通。
円覚宗演という老和尚が、今この本を流通させてくれた。
點撿將來、故無差舛。唯餘一喝、尚要商量。
内容はよく吟味されているから、文字の上の誤りはない。ただあの一喝の響きは抜けている。その辺りはよく考えてほしい。
具眼禪流、冀無賺舉。
目のある禅の修行者たちよ、どうか読み違えはしないでほしい。
宣和庚子中秋日謹序。
宣和庚子中秋日、謹しんで序す。
全文を通読し、現代語訳作業を続けていて思ったのですが、この序文は「臨済録」全体を非常に簡潔にまとめています。
この内容が理解できれば、「臨済録」を読み終えたのとほぼ同じ状態になるかと思います。
文字の上での理解であればそれで十分かもしれません。
しかし「臨済録」は、そこからさらに進むことを求めています。
「臨済録」の文章からは「ただあの一喝の響きは抜けている」とこの序文は言います。
臨済の生き生きとした言葉から、教えから、私たちが学べたはずのものが抜け落ちてしまっているようです。
それに少しでも近づくためには、「臨済録」の精読が必要になりますね。
ただし、これは臨済自身は無意味としていたところですが。
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