こんにちは、暖淡堂です。
「示衆」の5回目です。
ここでもやはり、ことさらなことなどしなくてよいと臨済は言います。
その理由は、修行している者たちは、大切ななにかを見失っているだけだから。
それに気づくだけで十分なのです。
では、見失っているものはどのようなものでしょうか。
臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。
大德、時光可惜。
諸君、時の流れを惜しむべし。
祇擬傍家波波地、學禪學道、認名認句、求佛求祖、求善知識意度。
ただ脇道にそれてうろうろと、禅や道を学び、文字や文章で考えようとし、仏や祖を求め、善知識を求めてその意義を測ろうとしている。
莫錯、道流。
間違ってはいけない、諸君。
爾祇有一箇父母、更求何物。
君たちは君たちをこの世に生み出したしっかりとした根源とともにあるのに、さらになにを求めるというのか。
爾自返照看。
君たちが自ら照らし出しているものを見よ。
古人云、演若達多失卻頭、求心歇處即無事。
昔の人が言っている、演若達多は自分の頭を見失ったが、それを探し求めるのをやめた途端にありのままの境地の人となれたのだ、と。
大德、且要平常、莫作模樣。
諸君、まずは平常どおりにやっていくことだ。特別な格好などつけなくていい。
有一般不識好惡禿奴、便即見神見鬼、指東劃西、好晴好雨。
世の中にはものの良し悪しを知らない坊主がいて、そら神を見ただの鬼になったなどといい、東だ西だとあちこち指差し、晴れただの、雨が降っただのと喜んでいる。
如是之流、盡須抵債、向閻老前、吞熱鐵丸有日。
こんなたぐいの者たちは、みんな借金を重ねるようなもの、閻魔の面前に向かい、熱した鉄の玉を呑まされ返済を迫られる日が来るだろう。
好人家男女、被這一般野狐精魅所著、便即捏怪。
立派な生まれの男女の修行者が、こんな怪しい狐にだまされて、さっそく怪しいことをやりはじめる。
瞎屢生、索飯錢有日在。
愚かな者たちよ、そんなことだから閻魔から飯代を請求される日が来るのだ。
臨済は、あいかわらず落ち着かずにウロウロしつづける修行者たちに向かって、君たちには生まれながらのしっかりした主体があるのだ、それを見失うな、と言います。
自分たちをこの世に生まれさせてくれた両親がいるではないか。
この世で生きるための身体を持っているではないか。
生きていくのに、必要なものはすべてそろっているではないか。
それに気付いたなら、それだけで十分であると。
修行者たちは、私たちのことでもあるかもしれませんね。
それなのに、すぐに不安になり、自分の外に頼るべきものを求め続ける。
そんなことはやめてしまい、今の自分自身で十分なのだと知り、自信を持てばよいのだ。
そう臨済は言います。
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「臨済録」現代語訳は、全文の推敲を終えたら関連する地図、臨済の生きた時代の年表などと合わせて書籍にする予定です。
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