こんにちは、暖淡堂です。
「示衆」の19回目です。
僧の一人が「三眼国土」について質問します。
「三眼国土」とは「浄妙国土」、「無差別国土」、「解脱国土」の三つ。
臨済は説明し、それらもまた、まやかしなのだ、と言います。
臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。
問、如何是三眼國土。
僧が質問した、三眼国土とはどのようなものですか、と。
師云、我共爾入淨妙國土中、著清淨衣、說法身佛。
師は言った。私は君たちと共に浄妙国土に入ると、清浄衣を着て、法身仏を説く。
又入無差別國土中、著無差別衣、說報身佛。
また無差別国土に入ると、無差別衣を着て、報身仏を説く。
又入解脫國土中、著光明衣、說化身佛。
また解脱国土に入ると、光明衣を着て、化身仏を説く。
此三眼國土、皆是依變。
これらの三眼国土とは、みな状況によって現れたものだ。
約經論家、取法身為根本、報化二身為用。
経論学者らは、法身をもって根本とし、報化の二身をそのはたらきとする。
山僧見處、法身即不解說法。
しかし私の見るところでは、その法身は法を説くことはできない。
所以古人云、身依義立、土據體論。
古人らは、それらの仏身は教義によって立てられたもの、国土とは理体によって論じられたものだと言っている。
法性身、法性土、明知是建立之法、依通國土。
法性の仏身、法性の国土、これらは存在するものとされた仏法の姿であり、それに依存する形で国土というものが考えられていることは明らかである。
空拳黃葉、用誑小兒。
まるで手のひらに黄葉した落ち葉を握り、それが金目のものだと言って子供をたぶらかすようなものだ。
蒺藜夌刺、枯骨上覓什麼汁。
棘だらけのハマビシの実や、カラカラの骨をしゃぶっていったいなにを吸おうというのか。
心外無法、內亦不可得、求什麼物。
心の外に法はなく、內にもまた得られるものなどないのに、そこになにを求めるというのか。
「浄妙国土」、「無差別国土」、「解脱国土」の「三眼国土」。
これらはそれぞれ「清浄衣」、「無差別衣」、「光明衣」に応じて現れたもの。
つまり状況に応じて現れたものです。
経論学者はこれらについて論じていますが、いずれもまやかし。
子供をだます目眩しであったり、棘のあるハマビシの実、乾いた骨のようなもので、それをいくら舐めていても滋養のあるものは得られません。
そこで舐めているのは、自分の唾液だけです。
そんなところにはなにもないのだ。
そう臨済は言います。
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