示衆(31)「爾一念心歇得處、喚作菩提樹」(君たちの一念心が静まり得たところ、それを涅槃と呼ぶ)「臨済録」より

2023-05-12

古典 臨済録

 

こんにちは、暖淡堂です。

「示衆」の31回目です。

臨済は、三界にありながら、何ものにも囚われない在り方について説いています。



臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 

「喝!!」の声が戦乱と混沌の世に響いた 臨済の生きた時代


  

大德、四大色身是無常。

諸君、四大(地、水、火、風)からなるこの身は無常である。


乃至脾胃肝膽、髮毛爪齒、唯見諸法空相。

また脾胃肝胆などの内蔵や、髮毛爪歯など身体の表についているものも、ただ諸法空相であることの現れである。


爾一念心歇得處、喚作菩提樹。

君たちの一念心が静まり得たところ、それを涅槃と呼ぶ。


爾一念心不能歇得處、喚作無明樹。

君たちの一念心が静まり得ないところ、それを迷いの世界と呼ぶのだ。


無明無住處、無明無始終。

無明にはそれが住み着くところも、始まりも終わりもない。


爾若念念心歇不得、便上他無明樹、便入六道四生、披毛戴角。

君たちがもし次々に湧いてくる思いを静めることができなければ、かの迷いの木に上り、六道四生(卵生、胎生、湿生、化生)に入り込み、毛皮を被って頭に角を生やした獣に何度も生まれ変わるだろう。


爾若歇得、便是清淨身界。

もし君たちがそんな心を静めることができたら、それがすなわち清浄身である。


爾一念不生、便是上菩提樹、三界神通變化、意生化身、法喜禪悅、身光自照。

一念が生じないこと、それを悟りといい、三界で神通変化し、意のままに化身し、法を喜び禅を悦び、その身から光が出て自らを照らす。


思衣羅綺千重、思食百味具足、更無橫病。

思いのままに羅綺を千重に身にまとい、百味を口に楽しみ、病に伏せることもない。


菩提無住處、是故無得者。

菩提には宿るところがない、だから得るものもないのだ。


道流、大丈夫漢、更疑箇什麼。

諸君、君たちのような立派な者たちが、さらになにを疑うのか。


目前用處、更是阿誰。

私の面前に現れている者たち、それは一体誰だというのだ。


把得便用、莫著名字、號為玄旨。

つかみ取ったらすぐにそれを用い、それがなんというものかにはとらわれない、それが玄旨、すなわち奥義というものだ。


與麼見得、勿嫌底法。

このように見切ることができたら、もう嫌うところのものなどない。


古人云、心隨萬境轉、轉處實能幽。

古人も言っている、心に随って万境を転変するが、その転変はまったく微かで痕跡も残さない。


隨流認得性、無喜亦無憂。

流れるままのその性を見れば、そこには喜びも憂いもないのだ、と。



 

この世界にあるものはすべて無常、そして空です。

それを迷いの世界にしているのは、私たちの心に浮かぶ思い。

その思いを鎮めることができたら、それがそのまま涅槃にあることでもあります。

今、そのままで、着るものを思えばすでに綺麗なものを十分に着ている、食べるものを思えば、舌を満足させるものを食べている。

その上、病にふせることもない。

あれが欲しい、こうしたい、あのようになりたい。

そんな思いが、私たちを三界で迷わせているのだ。

そう臨済は言います。


*****


「臨済録」現代語訳は、全文の推敲を終えたら関連する地図、臨済の生きた時代の年表などと合わせて書籍にする予定です。

 

臨済録原文全文リンク

 

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