示衆(36)「無人信得、盡皆起謗」(しかしそれを信じる人がなく、みなそれをけなした)「臨済録」より

2023-05-17

古典 臨済録

 

こんにちは、暖淡堂です。

「示衆」の36回目です。

臨済はここで、自らの修行で学んだ教えがどのように形作られてきたものかについて述べています。

それは臨済自身の修行の道筋でもありました。

どのように臨済の修行は遍歴していたでしょうか。



臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 

「喝!!」の声が戦乱と混沌の世に響いた 臨済の生きた時代


  

道流、山僧佛法、的的相承、從麻谷和尚、丹霞和尚、道一和尚、盧山拽石頭和尚、一路行遍天下。

諸君、私の仏法は、間違いのないように受け継がれてきたもの、麻谷(まよく)和尚、丹霞(たんか)和尚、道一和尚、盧山(ろさん)に石頭和尚と、天下に一つ切りの路として行き渡らせたものだ。


無人信得、盡皆起謗。

しかしそれを信じる人がなく、みなそれをけなした。


如道一和尚用處、純一無雜、學人三百五百、盡皆不見他意。

道一和尚の実践していたものは、純一にして雑物が混じっていなかったが、修行者が三百から五百もいながら、一人として和尚のしていることの真意を理解することができなかった。


如盧山和尚、自在真正、順逆用處、學人不測涯際、悉皆忙然。

盧山和尚は、真正さを自在に発揮し、順も逆もはたらかせたので、修行者はその行き着く涯がわからず、ことごとく茫然としたものだ。


如丹霞和尚、翫珠隱顯、學人來者、皆悉被罵。

丹霞和尚は、珠(たま)をもてあそび、見せたり隠したりし、やって来た修行者らは、誰もが罵られた。


如麻谷用處、苦如黃檗、近皆不得。

麻谷和尚の用いたところは、黃檗のように苦く、まったく近づけなかった。


如石鞏用處、向箭頭上覓人、來者皆懼。

石鞏和尚の用いたところは、箭(や)を構えてその先に人を試したので、やって来た修行者は誰もが怖れた。



 

臨済の教えには、先達がいます。

その教えは、今まで十分には理解されたことがなかった。

むしろけなされたりすることがあったようなものでした。


しかし、その先達たちの努力によって磨かれたものが、臨済に確かに受け継がれている。

そう臨済は言います。


*****


「臨済録」現代語訳は、全文の推敲を終えたら関連する地図、臨済の生きた時代の年表などと合わせて書籍にする予定です。

 

臨済録原文全文リンク

 

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