こんにちは、暖淡堂です。
「示衆」の37回目です。
師や先達のもとを訪れる修行僧たちは、誰もが彼らの様子であったり、言葉であったりするようなものに捕らわれてしまいます。
そんなものはどれも無意味だと臨済は言います。
臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。
如山僧今日用處、真正成壞、翫弄神變、入一切境、隨處無事、境不能換。
私が今日用いているやり方は、まともに仕上げたり壊したり、神変を手でもてあそんだりして、一切の境に入っても、どこでも無事であり、どの境でも変わることはないというものだ。
但有來求者、我即便出看渠。
誰であれ求めて来る修行者があれば、私はすぐに出て行ってその者を見抜く。
渠不識我、我便著數般衣、學人生解、一向入我言句。
その者は私を見抜くことができず、私がすぐにいくつかの衣服を身につけて見せると、その修行者はなにかを理解した気になり、私の言葉の意味をあれこれ考え始める。
苦哉、瞎禿子無眼人、把我著底衣、認青黃赤白。
こ苦労なことだ、目の見えない坊主たちよ、私の着ている衣服をとらえ、青だの黃だの赤だの白だのと、そこから意味を読み取ろうとする。
我脫卻入清淨境中、學人一見、便生忻欲。
私が重ね着した色付きの衣服を脱いで清浄境に入ったなら、彼らはそれを見て、さらにそれを求めようとして喜び勇んで欲を出す。
我又脫卻、學人失心、忙然狂走、言我無衣。
私が清浄の衣をも脱ぎ捨てたら、修行者は心を失い、呆然としてあわてて走り回り、私がなにも着ていないと言う。
我即向渠道、爾識我著衣底人否。
私はすぐにそんな修行者に向かって、お前は衣服を着たり脱いだりしている私がわかるか、と尋ねる。
忽爾回頭、認我了也。
するとその修行者はあっと気づいて振り返り、やっと私を認めることができるという始末だ。
大德、爾莫認衣。
諸君、衣に気を取られたりするな。
衣不能動、人能著衣。
衣は動くことができない、人がそれを着るのだ。
有箇清淨衣、有箇無生衣、菩提衣、涅槃衣、有祖衣、有佛衣。
清浄衣あり、無生衣あり、菩提衣や涅槃衣、祖衣や仏衣などがある。
大德、但有聲名文句、皆悉是衣變。
諸君、すべてこれらの声名文句は、みなことごとく衣変である。
從臍輪氣海中鼓激、牙齒敲磕、成其句義。
へその下に溜まった空気を震わせ、歯をかち合わせて出て来た言葉に過ぎない。
明知是幻化。
こんなものは幻だとはっきりと見て取るのだ。
大德、外發聲語業、內表心所法。
諸君、外に声を発して出て来る語は、内の心の働きの表れなのだ。
以思有念、皆悉是衣。
意思が動けば念が生じる、これらはことごとくただの衣である。
爾祇麼認他著底衣為寔解。
君たちは着ている物だけをただ見て、そこに真実があると理解する。
縱經塵劫、祇是衣通。
どれだけ長い時間をかけても、衣について詳しくなるに過ぎない。
三界循還、輪回生死。
だから三界を循環し、輪回生死するのだ。
不如無事。
ことさらなことはしないでいることだ。
相逢不相識、共語不知名。
出会っても相手がわからず、話し合っても相手の名も知らず、だ。
臨済は、訪れた修行僧たちの前で、ありがたい教えとされている言葉を弄んだり、作り上げたり壊したりして見せます。
またありがたい教えに適った見てくれで現れたり、一気に真実の姿で現れてみたりします。
修行僧たちはそれで激しく戸惑います。
ただ衣服を脱ぎ着しているだけだ、私の本体を見よ。
そう言われて、修行僧はやっと臨済のことの一部がわかるようになる。
そう臨済は言います。
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「臨済録」現代語訳は、全文の推敲を終えたら関連する地図、臨済の生きた時代の年表などと合わせて書籍にする予定です。
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