こんにちは、暖淡堂です。
「示衆」の27回目です。
臨済は世にいる善知識と呼ばれる人たちについて語ります。
「よく見るがいい、彼らに眉毛が何本残っているか」と。
その意味はなんでしょうか。
臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。
道流、如諸方有學人來、主客相見了、便有一句子語、辨前頭善知識。
諸君、諸方の修行者が寺に来て、最初の対面の挨拶が終わると、修行者が一言を持ち出して、向き合った和尚の善知識を測ろうとしたとする。
被學人拈出箇機權語路、向善知識口角頭攛過、看爾識不識。
その学人は何やら仕掛けのある言葉を捻り出し、和尚の口のはしに向かって、さあわかるかと突き出すのだ。
爾若識得是境、把得便拋向坑子裡。
しかし、和尚はそれを境によるまやかしだと見破って、すぐにそれを便所の穴に放り込む。
學人便即尋常、然後便索善知識語。
そこで学人は素直な様子となり、ぜひ善知識の語をうかがいたいと願う。
依前奪之。
和尚はその言葉もまたつかんで投げる。
學人云、上智哉、是大善知識。
学人は言う、素晴らしいお知恵、これこそ大善知識、と。
即云、爾大不識好惡。
しかし和尚はいうのだ、お前は良いも悪いもさっぱりわかっておらん、と。
如善知識、把出箇境塊子、向學人面前弄。
和尚は、世の中にあるものをつかみ出し、学人の面前で弄んでみせる。
前人辨得、下下作主、不受境惑。
すると学人はそれを見て取り、一つひとつに対して主体的に対応し、境による惑わしを受けない。
善知識便即現半身、學人便喝。
そこで和尚は本身の半分だけを現す、と学人はすぐに一喝する。
善知識又入一切差別語路中擺撲。
和尚はさらに数多くの言葉を取り出してそれで学人をコツコツと突く。
學人云、不識好惡老禿奴。
学人は言う、ものの好悪の区別も知らない老いぼれの坊主め、と。
善知識歎曰、真正道流。
和尚は嘆くように言う、君は真正の修行者だ、と。
如諸方善知識、不辨邪正。
あちこちにいる善知識と呼ばれる和尚たちは、正邪の区別もつかないものたちだ。
學人來問、菩提涅槃、三身境智、瞎老師便與他解說。
学人たちが来て、菩提だ涅槃だ、三身だ境智だ、などの質問をすると、道理に暗い和尚はすぐにあれこれ説明を始める。
被他學人罵著、便把棒打他、言無禮度。
中には少し知恵のある学人がいて和尚の言葉にケチをつけると、すぐに棒を持って彼を打ち、礼や節度がないという。
自是爾善知識無眼、不得嗔他。
初めから和尚は眼が開いていなかったのだ、学人に腹を立てる道理などない。
有一般不識好惡禿奴、即指東劃西、好晴好雨、好燈籠露柱。
世の中にはものごとの良し悪しも知らない坊主がいて、東を指差し、また西に向かって、良い天気だ良い雨だ、良い燈籠だ、良い露柱だ、などと言い散らす。
爾看、眉毛有幾莖。
よく見るがいい、彼らに眉毛が何本残っているか。
這箇具機緣。
これにはそうなったきっかけがある。
學人不會、便即心狂。
学人はそこのところがわからないので、すぐにその言葉に心酔してしまう。
如是之流、總是野狐精魅魍魎。
こんな連中は、すべて野狐精魅魍魎だ。
被他好學人嗌嗌微笑、言瞎老禿奴惑亂他天下人。
まともな学人からはこっそりと笑われ、あの道理の見えない年寄りの坊さん、言葉で世間の人を騙そうとしているのだ、などと言われているのだ。
修行僧たちは、大善知識と呼ばれる和尚とのやりとりで何かを学んだ気になります。
しかし、大善知識たちの言動は、臨済から見ると物事の好悪も知らないものです。
いいかげんなことを言いふらしているだけです。
そんな振る舞いをしていると、眉毛が抜けます。
大善知識の和尚の眉毛は、何本残っているのか見てみよ。
その言葉がどのくらい信用できるものなのか、それでわかる。
そう臨済は言います。
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「臨済録」現代語訳は、全文の推敲を終えたら関連する地図、臨済の生きた時代の年表などと合わせて書籍にする予定です。
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