こんにちは、暖淡堂です。
「示衆」の28回目です。
臨済録の中の言葉で、よく引用されるものがあります。
「仏に会ったら仏を殺せ」などです。
これはどのような文脈で出てくるものでしょうか。
臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。
道流、出家兒且要學道。
諸君、出家した者にはなによりも道を学ぶことが必要である。
祇如山僧、往日曾向毘尼中留心、亦曾於經論尋討。
私はかつて、毘尼(戒律)に心をとどめ、また経論を探求した。
後方知是濟世藥、表顯之說、遂乃一時拋卻、即訪道參禪。
その後、これらは世間を渡るための方便か、商売のための看板のようなものと知り、これらをいっぺんに捨て去り、参禅の道に入った。
後遇大善知識、方乃道眼分明、始識得天下老和尚、知其邪正。
そこで大善知識(黄檗)にめぐりあい、分明な悟りを得て、それから世の老和尚たちの正邪がわかるようになった。
不是娘生下便會、還是體究練磨、一朝自省。
これはただ母親から生まれたままで会得したものではない、自ら体究練磨の後、一朝にして悟ったのだ。
道流、爾欲得如法見解、但莫受人惑。
諸君、君たちが仏法を理解しようと思うのなら、他人に惑わされてはいけない。
向裡向外、逢著便殺。
内に向かい外に向かい、そこで出会うものがあればすぐに殺せ。
逢佛殺佛、逢祖殺祖、逢羅漢殺羅漢、逢父母殺父母、逢親眷殺親眷、始得解脫、不與物拘、透脫自在。
仏に会ったら仏を殺せ、祖師に会ったら祖師を殺せ、羅漢に会ったら羅漢を殺せ、父母に会ったら父母を殺せ、眷属に会ったら眷属を殺せ、そうすることで初めて解脱を得、ものに囚われることなく、自由自在に突き抜けた生き方ができるのだ。
臨済は道を学ぶことと善知識との出会いは大切だと言います。
しかし、それはそれぞれが真性のものでなければいけません。
まず自分自身を信じること。
そして、なによりも周囲に惑わされてはいけないのです。
自分の内側や外側に立ち現れるものはすべて消し去り、その影響を受けないようにするのが肝要。
仏も、羅漢も、父母も、親類縁者も、すべて自分自身を確立するための障害になります。
それらを取り去るために「仏に会ったら仏を殺せ…」と臨済は言います。
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「臨済録」現代語訳は、全文の推敲を終えたら関連する地図、臨済の生きた時代の年表などと合わせて書籍にする予定です。
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