こんにちは、暖淡堂です。
「勘辨」の9回目です。
臨済は、街中でもち米を売って帰ってきた院主に声をかけます。
「どこへ行ってきたのだ」と。
その問いかけに院主はどのように答えたでしょうか。
臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。
師問院主、什麼處來。
師が院主に問うた、どこに行って来たのだ、と。
主云、州中糶黃米去來。
院主は答えた、州中で黃米(もち米)を売って来ました、と。
師云、糶得盡麼。
師は言った、米は売り尽くしたのか、と。
主云、糶得盡。
院主は答えた、米は売り尽くしました、と。
師以杖面前畫一畫云、還糶得這箇麼。
師は杖で面前に一線を書いて言った、さて、これも売ることができるか、と。
主便喝。
院主は一喝した。
師便打。
師は棒で打った。
典座至。
そこに典座が来た。
師舉前語。
師はこの話を典座にした。
典座云、院主不會和尚意。
典座は言った、院主は和尚の意を理解していませんね、と。
師云、爾作麼生。
師は言った、ではそなたはどうなのだ、と。
典座便禮拜。
典座はそこで礼拝した。
師亦打。
師はまた打った。
院主は、臨済の「どこに行ってきたのだ」という問いに、「街中でもち米を売ってきました」と答えました。
それに対し、臨済はさらに、地面に杖で線を一本書き、「これは売ることができるか」と尋ねます。
そこで院主はなにかを理解したのでしょうか。
臨済に向かって一喝を浴びせます。
臨済は一棒を返します。
この短いやり取りから、私たちはどのようなことを学び取れるでしょうか。
言葉のやり取りのズレや、不可能なことについての問いかけなどは文章自体から読み取れます。
それを超えたなにかを、このやり取りから感じ取ったので、「臨済録」の作者はこの文章を書き残したに違いありません。
さて、それはなんだったのでしょうか。
「和尚の意を理解していない」
私は、この座主の言葉が、この文章を理解する鍵になると思っています。
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「臨済録」現代語訳は、全文の推敲を終えたら関連する地図、臨済の生きた時代の年表などと合わせて書籍にする予定です。
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