こんにちは、暖淡堂です。
「勘辨」の16回目です。
臨済と大覚とのやり取りを見ていた僧たちが、臨済と大覚はすでに親しいのだろうか、と言い始めます。
それに対し、臨済と大覚はどのように応じるでしょうか。
臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。
大覺到參。
大覚が参禅にやってきた。
師舉起拂子。
師は払子を立ててみせた。
大覺敷坐具。
大覚は座具を敷いて座った。
師擲下拂子。
師は払子を投げ落とした。
大覺收坐具、入僧堂。
大覚は座具をかたづけ、僧堂に入って行った。
衆僧云、這僧莫是和尚親故、不禮拜、又不喫棒。
集まった僧たちが言った、あの僧は和尚と親しいのだろうか、礼拝もしないし、それで棒をくらうということもなかった、と。
師聞、令喚覺。
師はそれを聞き、大覚を呼び出した。
覺出。
大覚が現れた。
師云、大衆道、汝未參長老。
師は言った、僧たちがみな、汝はまだ長老にあいさつもしていないと言っているぞ、と。
覺云不審、便自歸衆。
大覚は言った、ごきげんよろしゅう、と。それから僧たちの中に戻って行った。
臨済も大覚も、そもそも相手のことなど気にしていなかったのかもしれません。
それでも周囲の目からは、なんらかのやり取りがされているように見えてしまいます。
そして、そこからなにか学ぶべきものがあるのではないか、と。
臨済は大覚を呼び出し、お前は先ほど、あいさつをしなかったのか、と問います。
大覚は、即座にあいさつをして下がります。
そのあいさつは、二人の間の親しさのようなものの表現ではなく、むしろ「なんでもない」ということを意味しているように思えます。
そして、そのような振る舞いこそ、臨済が求めていたものかもしれません。
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「臨済録」現代語訳は、全文の推敲を終えたら関連する地図、臨済の生きた時代の年表などと合わせて書籍にする予定です。
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