こんにちは、暖淡堂です。
「勘辨」の17回目です。
この部分で、臨済は趙州と言葉を交わしています。
趙州もまた禅では有名な人物。
「無門関」で、「犬に仏性はあるか」と問われて「無」と答える、あの趙州です。
その趙州と臨済とのやり取りはどのようなものになっているでしょうか。
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臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。
趙州行腳時參師。
趙州が行脚の途中で師に会いに来た。
遇師洗腳次、州便問、如何是祖師西來意。
たまたま師はすすぎ水で足を洗っていたが、そこで趙州は問うた、如何なるかこれ祖師西来意、と。
師云、恰值老僧洗腳。
師は言った、あたかも老僧が足を洗うようなものだ、と。
州近前、作聽勢。
趙州は近づいて、よく聞き取ろうとした。
師云、更要第二杓惡水潑在。
師は言った、さらに柄杓一杯分の水をかける必要があるようだ、と。
州便下去。
趙州は引き下がり、去って行った。
趙州は、たまたまどこかへ出掛けた先から戻ったところの臨済に会います。
そこで、いわゆる「祖師西来意」を問います。
祖師西来意とは、達磨大師はどうして中国に来たのか、という質問ですが、これは同時に仏教(禅)の本義はなにか、という問いでもあります。
臨済は、今帰って来たところで、足を洗っているのだ、と答えます。
これは、なんでもないことだ、ただ普段通りにしているだけだ、と言っているようです。
あるいは、祖師西来意などというものは、歩き回ったときにつく泥汚れのようなものだ、と言っているようにも読み取れます。
それを聞いた趙州は、臨済に近寄ります。
もう一言欲しかったのでしょう。
そこで、まだ汚れが落ち切っていないようだ、柄杓でもう一杯の水をかけよう、と言います。
趙州はすぐに立ち去ります。
臨済との対話は、そこで十分だったのでしょう。
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「臨済録」現代語訳は、全文の推敲を終えたら関連する地図、臨済の生きた時代の年表などと合わせて書籍にする予定です。
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