こんにちは、暖淡堂です。
「勘辨」の19回目です。
ここでは臨済が四通りの「喝」について話しています。
臨済が一気に四通りの「喝」を示していて、それについての答えを求めます。
緊張感のある場面ですね。
では、四通りの「喝」とは、それぞれどのようなものだと言われているでしょうか。
臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。
師問僧、有時一喝、如金剛王寶劍。有時一喝、如踞地金毛師子。有時一喝、如探竿影草。有時一喝、不作一喝用。 汝作麼生會。
師は僧に問うた、ある時の一喝は、金剛王の宝剣のようであり、ある時の一喝は、地に足を構える金毛の獅子のようであり、ある時の一喝は、魚をおびき寄せる探竿影草(見せかけの餌)のようであり、ある時の一喝は、まったく役立たずの一喝だ、お前はそれがわかるか、と。
僧擬議。
僧はすぐに答えられなかった。
師便喝。
師はそこで一喝した。
*
師問一尼、善來惡來。
師が尼僧に問うた、ようこそと言うべきか、なんでわざわざこんなところへ、と言うべきか、と。
尼便喝。
尼僧はそこで一喝した。
師拈棒云、更道更道。
師は棒を持って言った、次はどうなる、さあさあ、と。
尼又喝。
尼僧はまた一喝した。
師便打。
師はそこで打った。
臨済が説く四通りの「喝」を整理すると次のようになります。
・金剛王の宝剣:ズバリと本質に切り込むもの
・金毛の獅子:迫力で身の危険を感じさせるもの
・見せかけの餌:チラチラ見せておびき寄せるもの
・役立たずの一喝:ただの大声
臨済はこれらの喝を、状況や相手によって使い分けているということでしょうか。
おそらく、その時々で、発せられた喝は、これらのどれかになるのだ、と言っているように思います。
喝が生きるも死ぬも、相手次第だ、ということではないでしょうか。
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